もしも大地震が来たら
もしいま、地震という災害が来てしまったら私たちはなにを思うだろうか。「あっ、地震だ。」で終わると思う。
津波とか台風ならまだ逃げれる余地があるが地震というものはいつどこで起こるかわからない。それが大きいものなのか小さい揺れのものなのか知るすべはなにもない。地震が来たら最後。揺れが収まるまでその場から動くこともできない。
何年か前、東京のビルの42階で働いていたとき大きな地震があった(震度は4)。ビルは大きく揺れた(そのように設計されているが・・・)。ビルの42階にいたので逃げることもできない。「やべえな。死ぬかもしれねえ。ははっ、」・・・冗談抜きで笑うしかなかった(笑)。もしあのとき震度7の地震が来てたらどのくらい揺れていたんだろう。このビルが地震に耐えられても隣のビルが崩壊したら巻き込まれるなんてこともありえる。
日本の首都東京が大地震によってたった一瞬で壊滅してしまったら、生存者の多くはパニックになるだろうな。助けを呼んでいる負傷者たち、夜は暗く、家もなく、雨なんか降ったら気分は最悪だ。傘があればいいが、雨宿りできる場所もないかもしれない。服はビショビショ、靴はビショビショ。風呂にも入れない。寝処はどうする。食べ物はどうするんだろう。汚れた川の魚でも釣って焼いて食うのか。公園にいつもいたハトを捕まえて食うのか。草を食べるのか。瓦礫に埋もれた見ず知らずの人の家の冷蔵庫に頼るのか。大井埠頭などにある食品倉庫に向かうのか(津波が来たら行けないだろうが)。自衛隊の炊き事に頼るのか。
世の中には少なからず無添加(言葉の意味としてはなにが無添加なのかはっきりした特定はないものだが)にこだわる人がいるが、もし食べ物が食えなくなったときそのこだわりは消えることなく持ち続けれるだろうか。「なんでもいいから食い物が欲しい・・・。」これが人間の欲望の本質である。体に悪いようなものでも食べなければ死んでしまう。生きるためには食べるしかない。体に悪いこと。それはなにも食べないこと。
宗教上食べ物が制限されていてようやくありつけた目の前の食べ物を食べることができなくて飢えて死んでしまったとしたらそれはそれで美しいと思う。無闇に人と争って食べ物を手にするよりは綺麗な生き方をした、のかもしれない。生きるってことは醜いのかな。汚くて、がむしゃらに一所懸命で、それでも生きる姿もまた美しいと思う。人それぞれの生き様・・・なにを言いたいんだかおれは。
地震はいつ起こるかわからない。起こってからはもう遅い。事が起こる前にどう対応していけばいいのかあらかじめ計画しておくべきだと思う。どんな状況でも、たとえ身内の者が建物の下敷きにされて目が飛び出て死んでいても、リラックスして今この状況でどうすべきかを判断し、決断することが生き延びる・・・・、はぁ~。なんてこと言ってるんだろう。
地震って怖いわ。そんなこと想像したくないけどいつかはそうなるかも知れない。やがては訪れる苦しみを和らげるためのものでもあるかもしれないけど、はぁー。とにかく心構えが大切ですね。自分がパニックになるのだけは避けたい。一人ひとりがそうでありますように。
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コメント
こんにちは。^^
地震、怖いですね。
私の所は地震がないんです。
なので、地震体験無し。
もしも地震にあったら、
きっとパニックになるだろうな・・・。
東海地震もいつ起こるか分からないんだよね?たしか。
motoiくん、準備だけはしておきましょう!
投稿: anne | 2008年5月21日 (水) 15時40分
anne様の星では地震は来ないんですね。長崎はあまり聞いたことがないような?雲仙普賢の活火山は知ってるが地震は聞いたことがないような・・・。
投稿: motoi | 2008年5月21日 (水) 17時06分